『むなしさ』は飛躍するために必要なもの
読売新聞
【“むなしさ”の語源】
むなしさの語源は「みなし」という。
果実の実がない、中身がない、味がない。
✅ ≪インド人宗教家のオショー・ラジニーシ≫は、
次のように語っている………
“退屈”は人間の生の中でもっとも重要なことだ。
人間だけが退屈できる、人間以外の動物は退屈できないのだ。
退屈はあなたが人生の“むなしさ”に気づいたことを示しているだけだ。
人生や生き方に関する“むなしさ”や無意味さについて、
大いなる理解があなたの中に生じつつある最初の兆しなのだ。
【ヴィクトール・エミール・フランクル心理学者】
V・E・フランクル(1905〜1997)は、
オースリア出身の精神科医・心理学者、「ロゴセラピー」の創始者。
ナチスの強制収容所での凄惨な体験を記した。
『夜と霧』は世界的ベストセラーとして知られる。
アドラーに破門される。
フランクルが生み出した心理学「ロゴセラピー」は、
辛い状況でどのように考えるかに重きが置かれる。
「どんな時にも人生には意味がある」という力強いシンプルなメッセージで、
辛い逆境に陥った世界中の悩める人々を救い続けてきた。
そのため「逆境の心理学」とも呼ばれる。
≪ロゴセラピーについて≫
ロゴセラピーとは……
人が自らの「生の意味」を見出すことを援助することで、
心の病を癒す心理療法のこと。
辛い出来事が重なり苦悩している時、
「こんな人生、意味あるのか」と問いかける。
こうした状況に人が陥るのは、根源的なところで人が
「意味」を求める存在だからである。
人は人生に意味を求め、人生を意味で満たそうと生きる。
こうした意味を希求する心の動きをフランクルは、
「意味への意志」(will to meaning)と名付けた。
「私たちが生きる意味があるか」と問うのは、
はじめから誤っている。
つまり、私たちは、生きる意味を問うてはならない、
人生こそが問いを出し私たちに問いを提起しているからだ。
私たちは問われている存在。
私たちは、人生がたえずそのときそのときに出す問い、
「人生の問い」に答えなければならない、
答えを出さなければならない存在なのだ。
人生に意味は無いのではなく、意味はすでにあり、
人は“意味を発見していく”存在であるということ。
✅「ロゴセラピー」の主要な概念には、以下の4つがある。
❶「意味への意志」
✴︎人は人生を「意味あるもの」にしたいという「意志」をもっている
人生に意味があると感じられた時、人は幸せを感じる。
❷「創造価値」
✴︎ビジネスマンはもとより主婦や学生であっても、
自身の行動を通して、人はこの世界に価値を創造している。
❸「体験価値」
✴︎真善美にふれることで深く感動し、
その感動体験を通して人生を意味で満たせる。
❹「態度価値」
✴︎人生には様々な制約があり、その制約の中を人は生きる。
制約は時に、辛い人生をもたらす。
でも、その時どんな態度をとるのか、
その態度によって人生に意味が満ちる。
【やりたいことをやっても虚しい?】
日本仏教学院
本当にやりたいことをやった人でも、
虚しさを感じている人がたくさんいる。
ビートルズは成功し、ツアーをやめ、
欲しいだけの金や名声を手に入れ、
最後に、自分たちは何も手にしていないことに気づいた。
⚫︎ボクシング世界チャンピオン、鬼塚勝也
少年の頃、世界チャンピオンはスーパーマンみたいな存在やと思ってきた。
俺にとっては神様に近い存在ですよね。
凡人の俺が、そんな凄い場所に辿りつくことができたら、
いったいどんな凄い人間になれるんだろう。
そのことだけを励みにここまで頑張ってきました。
しかし、試合に勝ってはみたものの、あるはずのものが何もないんです。
「エッ、何なのこれ? なんで、何もないんや」
「いや、次勝てばきっと何かが得られる」
そう信じて、次から次へと試合を積み重ねていきました。
だけど何も残らない。
試合が終わった夜は、生き残れた実感と自分が探し求めたものが
何もなかったという寂しさで発狂しそうになりました。
俺は常に素直に飛び跳ねる自分でおりたいのに、充足感がないから、
「何でや?」という思いばかりが虚しく深まっていく。
最後の試合までずっとその繰り返しでした。
⚫︎文豪・夏目漱石
死の前年、最後の随筆『硝子戸の中』には、こう記されている。
今まで書いた事が全く無意味のように思われ出した。
⚫︎ブラッド・ピット
ハリウッドではたくさんの人が仏教徒になっている。
アメリカの至上命令である「金持ちになって有名になれ」
では幸せにはなれない。
<虚しさの3個>
❶: 手持ち無沙汰の虚しさ
✴︎これはとりあえず目の前にやることがない虚しさ。
❷: パーティーの後の虚しさ
✴︎パーティーに行き、そして「楽しかったー」と家に帰る、
やはりあれは楽しかったようでいて、
虚しかったのだと思う虚しさ。
「祭りの後」という言葉がある。
パーッと騒いだ後ほど、虚しい気持ちが起きてくる。
趣味や生きがいに熱中するほど、虚しさが大きくなる。
「歓楽尽きて哀情多し」(漢武帝「秋風辞」)
と言っている。
❸: 根源的な虚しさ
✴︎これは、いつでもどこでも突然襲ってくる。
ふとしたきっかけで、いい知れない人生の無意味さの中に
おかれていることに気づく、得体の知れない虚しさだ。
「自分はなんで生きてるんだろう」
という思いがいつもある、どこか虚しい、
心にぽっかり穴が空いた感じ、
何か物足りない、という感じ。
常に虚しさがつきまとってるような感じだ。
これが、生きがいがあっても感じる虚しさだ。
▪️根源的な虚しさ“ニーチェ”
✴︎何のために生きるのか?一切は空しい!
人生──とは、からっぽの麦わらをたたいているようなものだ。
▪️根源的な虚しさ“パスカル”
✴︎ どんなに好きなことをやっても、好きな人と一緒にいても、
われわれのあらゆる楽しみが虚しいのは、
やがて必ず死んで行かなければならないからだ、と言っている。
そうなると「自分の人生は何だったのか」と虚しくなる。
【ブッダの言葉】
≪「足りない」は「虚しい」に繋がる≫
⚫︎欠乏感は強力で拭いきれない
⚫︎欠乏感は満たせば治まるものではない
⚫︎満たしたとしてもすぐに別の欠乏感が沸き起こる
【“むなしさ”が与えてくれるもの】
きたやまおさむ著
〜「むなしさ」の味わい方〜
✴︎「むなしさ」は誰もが生きている限り逃れられない、
人それぞれの「むなしさ」をじっくり味わうことが、
新たな自分の発見やクリエイティブなものを
生み出す契機になるという。
キーワードは、ゆっくり、ゆったり、ゆとり、ゆるす、 の「ゆ」。
読めば、「むなしさ」という言葉が、いい感じに見えてくる‼️